麻豆官网

木原生物学研究所木原生物学研究所
search

木原生物学研究所の沿革

木原生物学研究所の沿革

后に小麦の研究で世界的権威になられた故木原均博士の手によって设立

横浜市立大学木原生物学研究所の前身は、后に小麦の研究で世界的権威になられた故木原均博士の手によって昭和17年(1942)京都府の下物集女に文部省の认可を得て设立された财団法人木原生物学研究所です。
当时は、第二次世界大戦中という社会背景の中であり、设立までには几多の困难が伴いましたが、木原博士及びその他関係者一同の努力により、これを乗り越え开设することができました。研究所が京都の下物集女に作られたのは、创立者の木原博士が当时京都大学农学部の教授であったこと、近くに朝日ビールの农场があり土地が一部借用できたことによります。
研究所には圃場、実験室、休養室等が完備され、当時の研究所としては充実した施設内容を誇り、研究科は細胞遺伝学科、生理学科、応用遺伝学科の3科に別れスタートしました。ここでの研究は、横浜に移転する昭和32年まで続けられ、その後、この施設は京都大学農学部遺伝学研究室に引き継がれ、現在は同大学農学部付属 植物生殖研究施設として利用されています。(写真は最初に建てられた木原生物学研究所)

横浜移転

木原先生は昭和30年10月、静冈県叁岛市にある国立遗伝学研究所2代目所长に就任され、これに伴い京都の木原生物学研究所は京都大学に譲り、新しく横浜に研究所を移すことを决めました。
そして昭和32年(1957)5月、横浜市南区六つ川の土地に敷地規模1万坪(約33,000m2)研究室本館が鉄筋コンクリート3階建(延べ 110坪)という研究所に生まれ変わりました。
横浜移転から数年间の研究所は、その周囲のすべてを山林に囲まれており、坂を下りたところの里门の傍らに农家数轩があるだけでした。そこには野うさぎが出没してだいじな小麦や大麦が食べられるという珍事が起こり、わなを作って仕掛けると、ひと冬に10头内外も捕れるという今ではうそのような出来事もありました。
昭和44年(1969)3月国立遗伝学研究所を退官された木原先生は、その后もこれまでと同様に研究を継続したい希望をもたれ、退职金の一部で自宅周辺の土地を财団法人木原生物学研究所から购入。研究所はそのお金で、国立遗伝学研究所の丘の上の飞び地を借用して叁岛分室を建筑し、同年10月开室しました。叁岛分室での研究は昭和53年12月まで続き、翌昭和5年、分室の建物を解体して、横浜生研の敷地内に移筑することになりました。この间には、さまざまな研究成果が得られ、木原生物学研究所発展への基础づくりが行われたと言えるでしょう。
横浜生研移転の数年后、周囲の状况が激変し、谷を隔てた南侧の丘は大住宅団地に変ぼうして、鉄筋コンクリートのアパートが林立するようになりました。さらに、东侧には、マイホーム用の住宅造成工事も进んできました。こうして横浜生研の自然环境は従来の试験研究を遂行するには支障をきたすようになり、昭和45年6月北西侧の敷地を研究圃场として残し、その他の土地,建物は,现在の自然环境を永久保存するため横浜市へ売却することになりました。その后この土地は、横浜市中央教材园を経て、现在は横浜市こども植物园として、市民に亲しまれています。(写真は横浜市南区六ツ川の旧研究所)

横浜市立大学木原生物学研究所として新たな第一歩を

昭和57年、财団法人木原生物学研究所は、设立40周年を迎えました。栽培高等植物の遗伝?育种学的研究の発展に重要な役割を果たしてきましたが、一方では、独立机関として、财政面には常に困难が伴いました。
これまでは文部省?农林水产省及び财界各位からの好意ある援助により、活动を継続、発展させてきましたが、现状の在り方では研究所の存続が困难となり、そこで研究所40年をもって、创设の目的の一端は果たしたものとし、研究所の事业内容の継続を前提として公的机関への寄付が计画されはじめました。
これを受けた横浜市では市长の諮问机関である木原生研基本计画恳话会より木原生物学研究所の継承と新たな発展の方策について答申を得た后,昭和59年3月31日をもって财団法人木原生物学研究所は解散、翌4月1日、横浜市立大学木原生物学研究所として新たな第一歩を踏み出しました。(写真は横浜市南区中村町の研究所分室)

舞冈に最先端のハイテク技术を导入した研究所が完成

横浜市立大学木原生物学研究所は、これまでの六つ川にある研究施设の外に横浜市南区中村町にあった旧医学部の施设跡を利用して、研究部门も动物系、植物系に分け遗伝进化学、细胞遗伝学、细胞生物学、生物工学の4研究部门で始められました。
しかし、当初から2カ所に分散された施设は老巧化、狭隘化のため抜本的な改善を図る必要がありました。横浜市では、昭和60年から、よこはま21世纪プランの戸塚区区别计画で、舞冈地区週辺地区85丑补の整备事业を进めるに当たり、その中の24丑补について舞冈リサーチパークとして位置付け、地域の発展と自然的资源の适正な保全と活用を図るため、自然环境と调和した先端技术产业の研究开発施设の立地を図るべく、その中核施设として、横浜市立大学木原生物学研究所の新研究所构想が进められました。
新研究所の建设は、舞冈地区住民の理解と协力を基に、平成5年3月着工され、総工费136亿円をもって平成6年12月に完成。新たに植物工学、生物化学の2研究部门を加えた6基干研究部门で再出発しました。その施设には、さまざまな最先端のハイテク技术が导入され、国际文化都市横浜にふさわしい研究所として生まれ変わりました。

研究所绍介