変わり続ける中国を観察するのは面白い
中国を研究し続ける覚悟を决めた大学院时代

物心ついた顷から私は、中国という国に兴味を抱いていました。小学校低学年の时には日中の国交が正常化(1972年)し、友好のしるしとして中国政府からパンダが赠られるなど、中国への関心が社会的に高まっていました。私もパンダがデザインされた铅笔を使っていた记忆があります。テレビで流れる中国の光景を见ながら、地図では海のすぐ向こうにある近くの国なのに、自分たちとまったく违う文化や生活があることに好奇心をかき立てられました。高校生の顷には、中国语の初歩的なテキストを読み始めていました。
また、それとは别に、地理(学)というものへの兴味も抱いていました。いろんな场所へ行ったり旅行をしたりするのが好きで、様々な景色を目にしているうちに、都市や地域というものについて子供なりに意识し始めたのだと思います。地理学と中国という二つの兴味が重なったところに、私の研究の方向は定まっていきました。
大学院の修士课程に进んだ1989年の6月、北京で民主化を求めるデモ队と人民解放军との衝突、いわゆる天安门事件が起こります。混乱した情势にある中国で、果たしてフィールドワークに基いた研究などできるのかと、不安になりました。それでも私はその年の夏には中国へ渡航していました。大変な时であることはわかっていましたが、长いスパンで中国のいろいろな状况と向き合っていこうと、チャイナ?ウォッチャーとしての覚悟を决めたのです。
相手の国や地域を理解することは、自分を考えるきっかけに

その后1992年から香港大学に留学し、香港返還[Keyword 2]の直前まで滞在していたことは贵重な経験でした。授业は英语で、调査は北京语で、买物は広东语で、というややこしい生活でしたが、中国人だけでなく欧米や东南?南アジアなどからの多様な人々が行き交う社会の活気や、返还を前にした人々の期待や不安を、肌で感じることができました。その后も香港はどんどんと変化し続けており、依然としてとても兴味深い场所です。
中国の変化のスピードは加速しています。私が博士论文で研究した広东省のフィールドも、访れるたびに変化しています。调査を始めた顷にはまだ畑が広がっていたのですが、ほこりが舞い上がる中で工场が次々に建设され、出稼ぎ労働者の宿舎が建ち、さらには商店が并んで街ができあがっていきました。その后まもなく世界的に有名なハンバーガーチェーンの看板が目立つほどになりました。最近访れた时には、なんと地下鉄が开通していました。
この仕事をしていると、「中国は将来どうなるのですか」という质问を受けることがよくあります。未来を予言することなど私にはできせんが、日本にいる私たちとの交流がますます盛んになるだろうということは想像できます。人の流れや、お金、モノ、情报がもっと活発に行き来するだけではなく、お互いの価値観の対抗や融合といったことも継起することでしょう。
絶え间なく変わり続ける中国を観察するのは、とても面白いことです。私はこれからも、アジアそして中国の人々とお互いの理解を深めていきたいと考えています。意见を交换したり议论したりして相手の国や地域を理解することは、ひるがえっては自分の住む国や地域を考えるということにもつながるのです。
- [Keyword 2]香港返還
- 中国の特别行政区である香港は、约150年の间イギリスの植民地だったという歴史があり、1997年7月1日に中国へと主権が返还された。返还に至る二国间交渉によって、中国という一つの国にはなるけれども、社会主义と资本主义の二つの制度が大陆と香港で共存するという「一国二制度」が実施されることになった。










